外資系医療機器メーカー勤務のディレクターで、ヨーロッパとアジアを担当する松本真紀さん。2021年度には、トーストマスターズの日本支部の代表を務められた。
英語力を駆使するお仕事を続けられていて、ロンドンのビジネススクールに通った経験もあり、それなりには英語を話せると思っていたという。それでも松本さんがぶつかったのが、プレゼンの難しさだった。
「取締役の前で大切なプレゼンをする予定だった上司から、『どうしても会議に出られなくなったから、君、やっておいてくれないか』と急に代役を頼まれたんです。緊張のあまり、話をうまく伝えることができませんでした。プロジェクトの必要性や収益性などを伝える場だったんですが」
なんとかしたいと思った時に松本さんが、ふと思い出したのがトーストマスターズだったそうだ。
「数年前にニューヨーク帰りの知人から、トーストマスターズのことを聞いていました。一緒に活動してみないかと誘われていたのですが、当時は話を聞き流していて。プレゼンの練習ができると言っていたことを思い出して、インターネットで調べてみたんです」
取材にご協力くださった松本さん
あまりにも面白かったクラブ見学
松本さんが見学されたのは、通いやすかった土曜日の夜に活動していた目黒トーストマスターズ。
「しっかり練習する、プレゼン教室みたいなものを想像していました。ところが、あまりの面白さにびっくりしたんです。スピーチでは、親友がお亡くなりになった話をする人もいれば、あんこが好きでたまらないという話をする人もいて衝撃を受けました。自由に何でも話していいのかなって。特に感動したのは、定例会の時間管理がしっかりとされていたことです。定例会では、冒頭の挨拶から、スピーチ、論評というスピーチへのフィードバックなどへと順番に進行していきます。2時間という枠の中でピシッとそれぞれの役割にどれくらい時間をかけるのかが決まっていました」
楽しく学べそうだと入会したトーストマスターズで、プレゼン上達の効果を感じられたという。
「社会人になると、自分の話を何分間も真剣に聞いてもらえる機会はそんなにないと思うんです。トーストマスターズでは、例会のスピーチの時だけではなく、進行役の時などでも経験を積むことができます。また、近隣の複数のクラブを統括するエリアディレクターを務めた時には、担当クラブの訪問やスピーチコンテストの運営などでも人前で話す機会が得られました。何かを伝えようとしても、それぞれの機会で話をする立ち位置も変わってくるので、効果的に伝えるための工夫しながら経験を積めたと思います」
松本さんが入会されたのは2011年。10年以上も活動を継続できた理由についても話してくれた。
「ずっと楽しかったんですよね。ストイックに勉強するだけだったら、ここまでは続けられなかったと思います。今でも目黒クラブに所属していて、定例会中もまるでヤジが飛んでいるかのように和気あいあいとしているんです。いつも笑いながら、楽しく活動できています。エリアディレクターの時も、担当クラブを訪問しているうちに会員の人たちと仲良くなって、楽しいので毎回のように定例会に参加していました。エリアディレクターとしては年に2回訪問すればよかったんですけど」
目黒トーストマスターズクラブでのご活動
クラブ活動からの学び
松本さんは、2014年には日本語スピーチコンテストで全国大会に進出された。
「犯罪歴のある人との関わりについて話す内容だったので、この話を人前でしても大丈夫かどうかは躊躇してしまうところもありました。コンテストはクラブ内の予選から始まります。クラブ内で話してみると、いいスピーチだったと言ってもらえて、受け入れてもらえたように感じました。予選を通過して、全国大会に進むまでの間に、1つのスピーチを何度も練習します。飽きてしまって、もう話したくなくなるぐらいまで。それでも、クラブの会員に応援してもらいながら1つのスピーチととことん向き合うことができ、完全燃焼することができたと思います」
松本さんは、論評の経験から学んだことも多かったという。
「論評というフィードバックの経験はとても勉強になり、仕事でも役に立っています。よいフィードバックとは、建設的で相手を前向きにする、温かみのあるものです。まず相手の話を理解し、受け止めたうえで、相手の立場に合わせて話さなければなりません。それはビジネスでも同じことです。社内の人と話すのか、取引先と話すのか、社内でも取締役と話すのか、部下と話すのかなどによって、何をどう伝えればよいかは変わってきます」
全国大会に進出された松本さん
日本支部の代表を引き受けたのは、交通事故が決め手に
2019年度にエリアディレクターを担当されたのち、2020年度には複数のエリアを管理するディビジョンディレクターとなった松本さん。2021年度に、日本全体を統括する日本支部の代表にならないかという話を受けた時、迷いがあったと話してくれた。
「ディビジョンディレクターでさえ大変だったので、それ以上に重い役割を引き受けるのは無理だと思い、2回お断りしていました。それでも、自分を育ててくれたトーストマスターズに恩返しをしたいという気持ちもあったんだと思います。コロナ禍の混乱期でトーストマスターズの会員減も見られる中、今、自分だからこそできることもあるのではないかという気持ちもありました。一緒に日本支部で役割を担おうとしてくれる仲間と巡り合って、どういう方向性で組織を運営していくかを何度も話し合ったんです。少しずつ代表になるイメージが湧いてきたのですが、それでも最後まで迷いは残っていました。覚悟を決めるきっかけとなったのは交通事故。横断歩道を渡っていたら、青信号だったのにタクシーが突っ込んできたんです。大事にはいたりませんでしたが、コルセットを巻いた状態で車いす生活になりました。これはもう代表を引き受けるのをやめろってことなのかなと思ったんです。一方、もう1つ考えたのは、引き受けなかったらこの年は私にとって交通事故だけの年になってしまうじゃないかって。コロナ禍でトーストマスターズの活動もオンラインが中心なので車いす生活でも代表を務められるので、交通事故の年ではなく、代表となった年にしたいと思いました」
日本支部代表をお務めになった松本さん
日本支部代表の経験から得られた学び
日本支部代表としての経験についても共有してくれた。
「それはもう大変で、余暇の時間をすべて捧げないと無理だと思いました。とにかく時間がないんですよ。大きなイベントとしては、会員向け研修とスピーチコンテストがそれぞれ年に2回ありました。期初の7月に方針を立てて活動していきます。方針を立てた後も、実際に予算案を作成し、計画に移していく前に決裁が必要です。決裁を進めるためには、各会員に情報が伝わるよう、ディビジョンディレクターと連携して情報発信をしていかなければなりません。方針に沿って全国のディビジョンディレクターと協議しながらイベントを進めるのですが、いろんな意見が出るので何度も打ち合わせを行いました。一度方針が決まった後でも、方針とは異なる意見が出てくることもあります。質問がくれば、1つ1つ回答していくわけです。なんとか合意を形成したあとも、各ディビジョンの活動が滞りなく進んでいるか常に全体を見る必要がありました」
そうした活動の中でこそ、得られたものも大きかったという。
「意見の衝突に対する耐性ができました。会社では会う人が決まっていて、同じ人と仕事をすることも多いので、どういう風に仕事を進めていけばいいのかを考えやすいと思います。一方、日本支部では、初めて会う人と一緒に活動することが少なくありません。考え方も何も分からない人が集まるので、意見が衝突することもあります。それでも目的に向かってプロジェクトを進めていくには、今回はこういう人たちがいらっしゃるから、伝え方を変えてみるなど工夫できるようになりました。衝突が起きた際も、人それぞれ意見があるのだから仕方ないよねと動じにくくなったんです」
温かみのある言葉で取材に対応くださった松本さん
楽しみながらプレゼン力やフィードバック力を磨いてきた松本さん。日本支部代表のご担当ではご苦労もあったようだが、そのご経験からも学び、お仕事に生かされていた。何事も楽しみ、学んでいこうという前向きな姿勢に、松本さんがお仕事でもご活躍されている秘訣があるのではないだろうか。
(取材:木地 利光、撮影:栗本 朋子)