世界大会コラム(全11回):「勝てないナルシスト」田村直樹はどう変わったのかー世界へ挑む日本人ラスベガスへの道6

今回取材に協力頂いた柴田さんと田村さん。2013年秋季大会(トールテールスピーチコンテスト)にて

英語はめちゃめちゃうまいが、なんだかイケスカない。
「カッコイイのにカッコ悪いことに挑戦してる俺ってカッコいいでしょ?」
っていう上から目線が鼻につく自分大好き人間。
誰のことを言っているのか?
答えは 以前の「田村直樹」周囲からの評価である。
「周りからの評価」というのがどのくらいの規模で影響力を及ぼしていたのかは不明だが
少なくともそう思っていたのはひとりやふたりではなく、「それなりに」知れわたっていたようだ。

「上から目線でイケスカない」と酷評だった男が全国大会で優勝するまでの実力を我がものにするまでには何があったのだろうか。

当時から接点があり、現在はファンタジスタトーストマスターズで田村さんと一緒に学ばれているSusieさん(柴田 登子さん)のご協力で「いつ、どのようにして田村さんが変わっていったのか」
2007年、当時名古屋にいた田村さんと岡山に住んでいた柴田さんは、同じディビジョンで行われる大会で知り合う。
田村さんは当時から、東海トーストマスターズに所属しており英語の部ではコンテストでその名を聞くことは珍しくなかった。
しかし、他にも全国大会レベルのスピーカーを何人も抱えていた東海クラブにとって今のような特別視されるほどの存在でもなく、リーダーシップに興味なし、華はあるが全然人のフィードバックを聞かない。

名古屋、栄周辺。

「イケスカないナルシスト」 田村直樹
あー、またあいつかディビジョン万年2位の。
彼が会場にでてくると、そんなイメージでスピーチが始まる・・・姿をあなたは想像できるだろうか?

田村さんは言う。
— あのころの自分は人のフィードバックなんていらないと思っていた。
なんで? だって「自分のことは自分がよくわかっている」つもりだったし「自分を改善できるのは自分しかいない」と思っていたしね—
その後、田村さんは「ある光景」を境にいくつかの要因が重なり、成功への階段を上がっていくことになる。

あれだけ「自分好きなナルシスト」が人の話に耳を傾けるようになり
その後、 「何でそこまで・・・ひどい事を言われるの?」」
絶句とため息、そして緊張感が走る。
普通なら、あまりにショックで立ち直れなくなるに違いない辛辣なフィードバックを自ら繰り返し他人からリクエストをするようになる。
何が起きたのだろう?

シンシナティ国際大会オープニング・FALL OF FAMEにて。
トーストマスターズを続けていると、本当に色々な人に遭遇する

ディストリクト76注釈:
この記録は、唯一の日本人セミファイナル入賞を果たした(2019年5月時点)田村直樹さんが国際大会出場を決めた2015年5月から8月までのドキュメンタリーとして、メンバーより寄稿いただいたものです。ディストリクト76としては、全国コンテストや国際大会の雰囲気を感じてもらうための資料として、転載しております。寄稿者や登場人物の感想や思いなど主観に関する表現については、あくまでそれぞれの主観であり、ディストリクト76のハウスオピニオンではないことを最初におことわりいたします。また、トーストマスターズの専門的表現が一部あります。主にトーストマスターズ会員や、トーストマスターズについて多少の知識があることを前提とした内容のため、全ての語句に説明書きはついていません。予めご了承くださいませ。なお、記事内のメンバーの所属クラブなどの情報は当時のものです。