世界大会コラム(全11回): 「フィードバックが作りだしたチャンピオン」 世界へ挑む日本人ラスベガスへの道7

2011年5月15日春季大会・京都にて 名古屋から京都まで応援に駆けつけてくれた東海トーストマスターズクラブのメンバーと優勝後の記念撮影

「あいつの何が悪いのか、率直に教えてくれませんか?」
懇親会の中で、ひとりひとりに田村さんのフィードバックを聞いて回っているメンバーの姿が目にとまった。
そんな事言われてもすぐに直すのは無理だろう・・・?というような辛辣な批評、スピーチの技術面での論評、その他いろいろ色々な人が言いたい放題言っている。
しかも、それを聞きに回っているメンバーはご丁寧にも
全員のコメントをそのまま田村さんに「一字一句漏らすことなく」フィードバックを返しているらしい。
しかし、それを自ら積極的に受け入れ彼は「もっとフィーバックして、どんどん。感じたことをまるごと全部言って欲しい」と終始表情を変えずリクエストしている。
そこからひしひしと伝わってくる、ハンパない「絆」。
どんなに厳しくても思ったことをストレートに言ってくれる仲間を増やすことが、自分の成長にとって最も必要だと彼が気がついたのもこの頃だった。

田村直樹がトーストマスターズに入会した理由はただひとつ、「自分が思い描くプレゼンのスタイル」を極めたい。と思ったからである。

2011年の春季大会は、東日本大震災の影響を受けて急きょ会場が東京から京都に変更して行われた。そのため、何もかもがバタバタしていた。
(写真は京都・寺町通り)

初めてトーストマスターズに入会したのは、MBAの留学中に滞在していたサンフランシスコで「とにかく自分のスタイルを確立する」ことを目標に、プレゼンをやることにこだわった。
「プレゼンテーション」は個性が出れば出るほど卓越され、特にクライアント受けがよくなることを田村は痛感していた。
目的から外れる行動をあまり好まない田村は、最短距離で目的に到達するためには「自分のスタイルを変えてまでコンテストに勝つ」にまったく意味を感じていなかった。
だから他の人が言っていることは、自分が目指しているスタイルとは違うので価値を見出せない=重要じゃない。

確かに、フィードバックをある程度取り入れた方がコンテストには勝ちやすくなるんだろうなという認識はあった。
しかし、「自分のスタイルを確立して目的の達成を目指す」ということと「コンテストに勝てるスタイルに変える」ことは両立しないと信じていた。だから自分のスタイルは貫きたい。
その一方で、「他人からのフィードバックを受け入れて」着々と実力をつけて次々と全国大会で優勝していく新たな挑戦者たちの姿にも、田村は遠目ながらも気が付いていた。
田村直樹の「スピーチに対する抜きんでた感性とディープな哲学」を東海のメンバーたちは充分にわかっていたに違いない。
それなのに、「イケスカないナルシスト」と周りに思われてしまう不器用さ。
それを心から心配し、見るに見かねて「人の話を聞く」身代わりを努めはじめた仲間たち。

「このままではいけない」

2010年秋、ディビジョンコンテスト(地域大会)4連敗を喫してから東海クラブのメンバーが真剣に彼を心配したのである。
そして本番前夜の夜遅くまで、そんな「激しいフィードバック」を田村は受けていた。
翌朝早く、名古屋から京都に向かわなくてはいけない。

その日の京都は五月晴れ。
新幹線を降り、京都駅から会場に向かう途中でうっかり道に迷ってしまいどこをどう歩いているのか、よくわからないまま長い坂道をひたすら登って行ったところで偶然、神社らしきものを見つけ、そこで「優勝祈願」をした田村は、元の道を引き返して一人で会場に向かっていた。

「勝ったら京都に応援に行きます。」 「勝ったらラスベガス行くからね!」の応援メッセージと「なんとかしてあいつを勝たせてやりたい」と願う東海クラブメンバーの思いに応えたいという気持ちが芽生え、知らないうちに、コンテストで優勝するために何ができるかを真剣に考え始めるようになっていた。

そして次第にわ かってきたこと、それは「自分にとって価値を感じないと思えるフィードバックが実は一番価値のあるもの」 だということに気がついたことだ。

2011年春季大会:表彰式にて。左から2人目が田村さん

「自分が何を知らないかを知る」ことがスピーチコンテストでは明暗を分けることもわかり始めていた。

「ジャッジ=オーディエンス、オーディエンス=ジャッジ」という考えを持ち始めたのもこの頃だった。

「自分のプレゼンスタイルを確立するという目的」と、「コンテストで勝ち上がることでより大きな舞台で挑戦することができる」ことは
実は同じベクトルを向いている・・・

「ノイズが取り除かれ、ひとつのリズムに向かって調和するメロディー」のように1本の道へ突き進むような感覚を田村は無意識に味わっていた。

全国大会本番前、「前夜にあれだけ手厳しいことを言われたフィードバックシート全員分」計20 数枚を大切に胸ポケットにしまい、舞台へ臨む。

初めての全国大会ファイナルで、正直言ってスピーチの技術に自信はない。
「京都に応援に来たよ!」と一緒に来てくれた東海クラブのメンバーたちの笑顔
これだけ支えてくれた仲間のために、とにかく最後まで無事にスピーチを終わらせたい。
思いはそれだけだ。

徹底的に真正面から向かいあった厳しさが、熱い情熱と最強の力へと変わり
田村のスピーチに魂を吹き込む。

結果は・・・ 「優勝」。
初めての「アメリカ国際大会」への切符を手にしたのである。

ディストリクト76注釈:
この記録は、唯一の日本人セミファイナル入賞を果たした(2019年5月時点)田村直樹さんが国際大会出場を決めた2015年5月から8月までのドキュメンタリーとして、メンバーより寄稿いただいたものです。ディストリクト76としては、全国コンテストや国際大会の雰囲気を感じてもらうための資料として、転載しております。寄稿者や登場人物の感想や思いなど主観に関する表現については、あくまでそれぞれの主観であり、ディストリクト76のハウスオピニオンではないことを最初におことわりいたします。また、トーストマスターズの専門的表現が一部あります。主にトーストマスターズ会員や、トーストマスターズについて多少の知識があることを前提とした内容のため、全ての語句に説明書きはついていません。予めご了承くださいませ。なお、記事内のメンバーの所属クラブなどの情報は当時のものです。